こうして、小学校4年生から鹿児島市へ引っ越ししたのですが、慣れない環境だったからか、すぐに原因不明の病気(体全体が弱っていく感じ)になって1か月以上入院することに。
母は、土地が変わったらまた気が変わって教室に通うと思い込んでいたようで、
「せっかくここまで弾けるようになったのだから、家の近くの電子オルガンも教えてくれるらしいピアノ教室に通ってみない?」
と母から、引っ越し早々言われたのですが、無言でスルーした思い出。
あの奄美大島の先生でほとほと懲りていた私は、独学の道を進むことを固く決意していました。
そういえば、電子オルガン(エレクトーン)はこの奄美大島の先生の私への言動のおかげで習えなくなったらしく、体が拒否しちゃうので(笑)。エレクトーンの先生はこの人が最後のままですね、いまだに。
さて、こうして独学の道を歩みだした私なのですが、小学校5年・6年生の時に音楽クラブに入ってビートルズのイエスタディなんかをみんなで合奏した思い出があります。
最近分かったのですが、私はこれぐらいの頃から、バカラックの曲が結構好きだったみたいです。
クラシックだと、ドビュッシーやラヴェル、ヴィバルディなんかを好んで聞いていました。
こうして、試行錯誤の独学(茨)の道を進みながら、中学校へ進学することになりました。