そんなこんなで、音楽教室を辞めた私でしたが、音楽は変わらず好きで、頭の中に流れている音楽を音に出すという楽しい遊びを続けていました。
当時住んでいた奄美大島は、歩いていると大島紬の機織りの音がリズムよく聞こえてきたり、蛇味線(じゃみせん)の音が聞こえてきたりします。指笛の上手な男の子が多かった思い出。
・・当時のクラスメイトに、小学校にある蛇味線クラブに入らないかと誘われました。
私はこの楽器にとっても興味があったので、早速父にお願いしてみました。
すると、楽器が高いことと、もうしばらくしたら転勤になる可能性があるとのことでこのクラブには入れませんでした。
奄美大島では、ハイビスカスの花を髪につけて歩きながらみんなで踊るパレードみたいなイベントがあって、踊りながら歩いてとっても楽しかった思い出もあります。
今でもこの島の踊り、踊れますよ♪
小学校3年生の担任だった先生は、とても愛にあふれている先生で、こわがりで泣き虫の私によくしてくれたことも覚えています。
あるとき、「イルカはさんぶらこ~」という曲を使って発表会の出し物でクラス全員でバンブーダンスをすることに決まりました。その時に、先生から電子オルガンでこの曲をアレンジしてみんながダンスしやすいように弾いてもらえない?と頼まれました。
本番、この曲を弾きながらみんなのバンブーダンスと一体になった時、なんともいえない幸福感とともに、たくさんの拍手が!
(大人の先生に楽器習うのはもうコリゴリだけど、これからも音楽を自分の力で続けていくぞ!)
と、この頃決意したことを覚えています。