そうして、ヤマハのエレクトーンコース5のクラスへ移動した私。
まずそのクラスにはじめて入った時のピリピリした空気感はいまだに忘れられません。
・・先生によってこうも変わる空気感。
その先生は、若く東京の音大(?)から戻ってきたばかりの方だったらしいのですが、これからの自分のキャリアアップして名声を得ていきたいというエネルギーが先生からびんびんに伝わってくるのです。
このエネルギーが充満したクラスへは、めっちゃ行きたくなくなりました。。。
そういうわけで、この先生、自分のクラスにいる生徒には全員、当然のようにヤマハのグレードテストを受験することと、全国コンクールを受けることを課したのでした。
それで、先生の有無を言わさない決まった事のおかげで、グレードテストとコンクールを受験することになっていた私。
グレードテストを受験することになり、グレードテスト用の楽譜を数冊買わなければならなくなった時のこと。母にそれを伝えると、母から不満が聞こえました。
「なんで、こんなに楽譜買わないといけないわけ?(うちにそんな金はないぞ。お金がもったいない!)」
しかも、グレードテストの受験料金もふだんの月謝に加えてかかります。
そんな家庭内の雰囲気でしたが、私はグレードテストには課題曲と作曲で受験しました。
今考えると、休日に呼び出されてグレード用のレッスンを受けていたのですが、これは先生が全部無料でおこなっていたんですよね。
生徒がコンクールやグレードという確かな秤で良い点数をとる人間に育てあげるという熱意を持った先生だったということは確かでした。
こうして、ヤマハのエレクトーングレードテストには無事合格。クラスでは、作曲で受験する人が私以外いなかったようで、とても褒められたことを覚えています。
ただ、私の作曲した曲に先生が途中からを勝手に手を加えて違うものにされたことがなんか嫌だったことを覚えています。グレードに受からせるためのものだったのでしょうがね・・・。
なので、(この先生にはもう作曲した曲はみせないんだからね!私は先生の道具じゃないんだから!!)ということを子ども心に決意した記憶があります。
このクラス、はじまってしばらくすると、ぽつりぽつりと生徒がいなくなっていったんですよね。
みんな、様々な事情でクラスを変わったりやめていったりしていました。
さて、そんな感じでクラスの人数も半分くらい?になりつつも、グレードテストが終わったらコンクールの準備が始まりました。
母親には、どうしても楽譜がいるといってお金をもらい、コンクール用の楽譜を買いました。
いつものクラスの時間とは別に、先生に週末呼び出されてコンクールのための個人レッスンも始まりました。
とても厳しいレッスンでしたが、勝ち抜くと東京に行けるらしい全国コンクールに、田舎に住む私は胸がトキメいて一生懸命練習したことを覚えています。
そして、コンクールの参加手続きと受験料を払い込む期限がやってきました。
先生から親に言うようにと言われて、母に電話したんです。
母は、その当時ちょうど弟が入院しており、その付き添いで家にほとんどいなかったから、電話で話をするしかなかったんです。
母との電話で、コンクールの参加費を出してほしいとお願いしたところ、
「そんなお金はないから、断ってきなさい。アンタを音楽家にするために行かせてるんじゃないんだから。」
の一言でした。
私はあまりのショックに、茫然となってそこから何を言ったのかほとんど覚えていません。
そして、先生との週末個人レッスンへと胃がキリキリしながら出かけていきました。
レッスンルームへ行くと、前の子がちょうど終わったところでした。前の子が帰る支度をしているところ、
「・・・すみません。コンクールに出られなくなりました。」
と、先生に伝えた私。
先生がみるみる鬼の形相になり、そこからヒステリー大爆発!!
「一体、私がなんのためにタダで教えていると思ってるわけ????
コンクールに出ない人に教えるわけないでしょうが!!!!!!」
みたいなことを、何故コンクールに出られないのかの理由も全く聞かず、一方的にわめき散らされたので、私はびっくりして大泣きしたことを覚えています。
大泣きした私を見て、先生は冷たくさらにわめきました。
「さっさと帰りなさい!!!!あなたに教える時間はない!!」
前にレッスンを受けていた子が帰らずに、ニヤニヤしながらこちらを見ていたんだよねー。
結局、私は追い出されたので、そのまま前の子のレッスンを延長したようでした。
泣きながら、帰った私でした。
・・・それからも、毎週グループレッスンが続きます。
あれだけ熱心に指導してくれていた先生が、冷たく無視するようになりました。
クラスにいても当たらなくなったため、ぼーっとしているしかない私。
それでも、みんなの課題ででている曲は練習していってました。
ある日、順番に課題曲を弾いていくという時間がありました。
やっと弾けるかな、と思った私でしたが、甘かったわあ!!
私の弾く順番がきた時のことです。
先生が前を通り過ぎながら、
「このクラスには、コンクールをぎりぎりになって受験しないっていうとんでもない生徒がいるんですよね~!なんで、まだこのクラスを受けにきてるのかしら~??」
といって、私の順番をとばして次の生徒に回したのでした。
この時、さすがに
(も・う・や・め・て・や・る!!)
と決意したのでした。
・・今でも、名前も忘れたこのお嬢様育ちのヒステリー先生のことは大っ嫌い!!です。
というか、この頃から、「ヤ〇ハ」の文字を見ると反射的に気分が悪くなるという現象が続くことになるのでした。
そして、しばらくは親に辞めたいと言えずサボり続けた私でしたが、ついに親にばれて、理由を言いたくない頑固な私は「やめたい」と一言だけ言い続け、ヤ〇〇音楽教室を後にしたのでした。
またちょうどこの頃に、家庭内の問題に加え、学校でのいじめ、近所の子どもたちからのいじめと問題が多発していたため、自殺方法を調べてどの方法が一番いいか真剣に考えたこともあります。
なかなか暗い感じでしょ??