大学に入ってからは、自作のゲームに音楽をつけてほしいという話が来たりで、ベーシックというプログラムや、音楽ツクールというアスキーのソフトを使ってでゲーム音楽を作ってみたり、クラスメイトが急に音楽にはまってピアノのこの曲少し教えてくれない?って頼まれたりして教えていた思い出があります。
私の進んだ理学部生命化学科という学科は、新しく生物科と化学科が統合したばかりで第一期生でした。
当時、理学部改変が大幅に行われ、隣の物理学科には東京大学などからたくさんの研究者や教授陣がうつってきて(種子島があるのが理由の一つ)、これからこの南の鹿児島の地で研究者を多数輩出していくぞー!という気概に満ちていたように感じていました。
私が気になっていた炭素年代測定法については、放射線を使うため先生の助言により早々にそっち方面に進むのはあきらめることになったのですが、研究者になるために激しい勉強と実験・レポートをこなさなければいけない日々のなかで、音楽はやはり心の支えになっていたように思います。
そして、実は子どもの頃からどうしても習いたかった楽器がもう一つありまして。
大学の近くにその楽器を教えてくれるところがあったのをいいことに、早速通うようになりました。好きなことにはネコまっしぐら!な私です。
その楽器は、バイオリンです。
この老先生が本当に素晴らしい音楽を奏でる先生でした。
はじめてのレッスンでバイオリンを持った時、手に吸い付く感じで前から持って演奏していたような気がしました。音もはじめてのレッスンですぐ出せたので、先生が驚いていました。
バイオリンを習い始めて約一年後に体を壊して入院して、その後、退院の折に医師からバイオリンは控えるように言われて泣く泣く習うことをあきらめましたが、このバイオリンの先生からは、ふだんのレッスンで先生と生徒がアンサンブルをする素晴らしさを教えていただきました。
このバイオリンの先生からかけてもらった
「君は、もっと早く習っていたなら、プロになれたのに。本当惜しいな。」
という言葉を今も大切に胸の奥にしまっています。
さて話は戻りますが、さきほど書いたように、また原因不明の不調が続き大学病院へ検査入院(多発性硬化症の疑い)で入院した私。
ぐるぐる目が回る感じでまっすぐ歩けなくなってしまったりしてました。
いい時と悪い時と、とても波がある病でした。
病院のベッドのなかで回ったり揺れたりする症状に苛まれながら、これからどうなってしまうのだろう・・・と絶望しかけたとき、不思議なことに私の頭の中に聞いたことのない音楽が聞こえてきたのです。
その時(あー私、なんかわからんけど、音楽やっていこう!)
と思ったのでありました。
それから、大事には至らず、検査の結果多発性硬化症ではなかったため、今も生きています。あの時に、聞いたことない音楽が聞こえてきたことが私の転機だったのかなと振り返って思います。
ただ、検査の結果、機能性疾患であることは言われ、専門医がいないため確定はできないけれど、慢性疲労症候群という病気ではないかと診断されました。
この20歳での入院後から今に至るまで、無理はできない体となったことは言うまでもありません。
こうして、私は体質不安もあり、大学を休学→退学するということになりました。