こうして、中学3年生から、母の連れてきたクリスチャンのピアノの先生に習うことに。
この先生はとても優しく穏やかな先生で、音楽大学を出た先生ではありませんでしたが、ピアニストについて習っていた先生でした。
この先生から、私はピアノを歌うように弾く方法を学びました。
高校受験で途中数か月お休みしても、また高校入学後、また快く教えてくださり、私が音大受験予定の人と同じような本格的なレッスンを希望したこともあり、教本も複数使って習いました。
この先生も2年も経たないうちに、「私ではこれ以上は教えられません。」と言われて、クリスチャンの別の有名音大卒の先生を紹介されました。
この先生は声楽科卒だったこともあり、コールユーブンゲンとかを使ったソルフェージュのレッスンもピアノの前にすることになりました。
個人のピアノの先生に習い始めて、ピアノはなぜなんだろう?クラシックのある時代にだいぶ偏って教えるんだなぁって感じるようになりました。
なので、先生たちに隠れて、月刊ピアノを買ってきて弾いてみたり、コードの研究をしてみたり、ジャズカッコイイ!ってなって、ジャズハノンとかをこっそり買ってきて練習してみたりしてました。
そっちに夢中になってて、レッスンの曲がイマイチ進んでいないと、「ちょっと勉強が忙しくて!すみません。練習できませんでしたー。(いわゆる進学校に行ってるから許される言い訳)」
みたいなことを平気で言ってましたねー!!あははははは!!
そして、もうすぐ高校3年生になるときに先生から、進路の選択を促されました。
「地元の音短の声楽科だったら入れると思うけれど、ピアノ科は難しい。声楽科なら受験の対応をしますよ。」と。
電子ピアノでしか練習できない私の家の事情を考慮してくれての精一杯の言葉だったのでしょう。
この頃には、ソナタや、作曲家だとシューマンやショパンをやっていて、バッハはまだインベンションをやっていたぐらいでしたからね。
それで、少し悩みましたが、やはりカロザース様や炭素年代測定法などに興味深々だった私は、地元の国立大学にある理学部で化学を学ぶことを選択したのでした。
(めざせ!自立!ある程度稼げれば、ピアノも買えて悠々自適の音楽ライフをおくれるぞー!!)
・・専門職につきながら、アマチュアピアニストをやるっていうのが私の当時の目標だったんですよねー。
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