小学校入学と同時に、福岡から鹿児島県にある奄美大島へ引っ越ししたのですが、
はじめの一年間は、クラスメイトと言葉も通じず、髪の毛もシラミがどうとかで、おかっぱかショートカットしかダメという校則があり!!
・・長かった髪の毛を切られるという出来事から、恐怖感でいっぱいだった気がします。
そして、転勤族の私は、奄美大島の地元楽器店がやっているヤマハ音楽教室へ通うことになりました。
そこでは、エレクトーンコースとアンサンブルコースとどちらかから選ぶようにと言われたようで、アンサンブルコースだとピアノにもいずれいくことができると聞いた母はアンサンブルコースへ私を入れたのでした。
このアンサンブルコースでは、今思い返すと、色んな時代や世界の様々な音楽スタイルをみんなでアンサンブル体験をしながら学んでいくという、とても楽しいものでした。
このアンサンブルコースの体験のおかげで、今でもラテン音楽やジャズスタイルの曲もとっても好きなんだと思います。
確実に、私の音楽の幅を広げてくれたのがこのアンサンブルコースでした。
さて、このアンサンブルコースは教本が1・2・3・4までしかなく、5~は、エレクトーンかピアノを選択しなければならなくなりました。
また、このアンサンブルコースの先生が結婚して辞めてしまうことになってしまったので、その先生の所へ音楽教室を辞めて通うか?ということになりました。
私はこの自由な雰囲気の先生が好きだったので、この先生の所へ通いたかったのですが、通うのには遠すぎる場所ということで母から却下。
母が出した結論は、エレクトーンコース5~に進むというものでした。
さて、このエレクトーンコース5のクラスを選択したことが、後々まで〇〇ハの文字を見るのも嫌になる私の音楽歴に大きな影を落とした、ある先生との出会いとなったのでした。